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自閉症の子どもとの個人セッション~初回~

                      【自閉症の子どもとの個人セッション~初回~】
                                                             古儀 裕子
        
●セッションの初回。
 障がいを持った小さい子どもの最初のセッションでは泣かれることが多い。初回は保護者の方に入ってもらったりもするが、それでも知らない場所や知らない大人達がいるところに突然「音楽をするよ」とだけ言われ、連れてこられているのだから泣くのは当然と言えば当然。不安でいっぱいに違いない。特に障がいによっては、初めての場所や初めての人など「初めて」のことが苦手な子どもも多い。とにかくここが「嫌!」なのである。だがセラピストもそこはわかりきったことなので、「初回は泣くだけでセッションが終わるかもしれない。」と思って臨んでいる。反対に全く泣かなかったり何の不安感も見せずに30分間過ごされるとこっちが不安になるくらいだ。もちろんそういう子どももいるし、初回ではなく「泣き」がしばらく後ででてくる子どももいるので、本当に一人ひとり違って当たり前なのだが、ただ経験上、早めに泣いてくれる(自己表現をしてくれる)方がその後のセッションがスムーズに進んだり、後々何かがあった時にも崩れにくい気がしている。

 私の個人セッションでは子どもをすごく泣かせることがある。・・・・泣かせるというか、泣いているのをそのままに受け止めて、あえて慰めたり、違う方向に意識を向けさせたりしないのだ。号泣して暴れている子どもがいるのに一緒にいる大人が慰めず、泣き声と同じボリュームの声を出し、同じように暴れて音を出すその場面はかなり凄惨な場面に見えることだろう。一歩引いたところから見たら、パニックをおこしている子どもと同じような動きをとるので、セラピストもパニックをおこしているように見えて、少し間違えれば虐待しているようにも見えるかもしれない。でも同じ温度で返している以上周りからそう見えて当然だし、それぐらいに見えないとクライエントにもばれてしまう。

●そもそもどうして「泣いているのをそのままに受け止めて」いるのか?
 子どもに対してはいろいろな場面でのいろいろな接し方があって、例えば私が保育園で保育士として子どもと関わる場合はこのような関わりをしない場合の方が多い。泣けば子ども自身もやはりしんどいし、集団の中ではその全体の動き自体も止めてしまうかもしれない。そのため何かつまずきそうなことがあれば先にそれを取り除いておくこともあるし、単純に慰めもするし、全然違うことで気をそらしたりもする。これはこれで日常の生活を円滑に進めていくためにとても大切なことだと思っている。
 ただこと音楽療法場面(特に個人セッション)においては※1「子どもの先回りをしないこと、心の動きを封じないこと、子どもの自由を奪わないこと」や「自己表現(正の感情も負の感情も)」などを大切にしているので、「泣いている」=「自己表現」ととらえ、無理に泣きやませようとはしないのだ。先程「日常」と書いたが音楽療法場面は、セラピスト自身が「非日常」と思ってセッションに臨んでいるということも大きい。
(ただ「日常」あっての「非日常」というか・・・・。生活をしていく為には「非日常」だけではダメだと思っている。必ず「日常」が必要。反対に「日常」のみはあり、だと思っている。)

●ここでの非日常とは?
 セッション時間の30分間、その空間は完全にクライエントの世界であるということ。
置く楽器やその配置などはこちらがクライエントが動きやすいように設定しているので、完全にとは言えないかもしれないが・・・・。危険なことなど以外は言葉も法律も重力etc.もすべてクライエントのもの。どういう世界になるかはクライエント次第。初回は何もない状態なので、とても大変だと思う。

●そしてどうして「自己表現」が大切だと思っているのか?
 学校現場や教育現場での成長とは(私の中で)上に積み上げていくイメージがあるのだが、音楽療法の中で私がやりたいのは上に積むのではなく、ただただ下を強固なものにする土台作りだ。土台さえしっかりしていれば少々上に無理な積み方をしても簡単には壊れないと思う。自分が主役の世界の中で自分自身をたくさん表現して、自分自身の力でひたすら自分と向き合っていくこと(自分への問い)が土台作りには必要ではないかと思っている。そのために自分は何が好きなのか、自分は何が嫌なのか、何がしたいのか、日本語を話したいのか、話したくないのか、自分は誰なのか等々を、泣きながら、叫びながら、遊びながら、歌いながら、しゃべりながら、止まりながら、内にこもりながら表現してほしい。
 セラピストはただただそれに同じように付き合い支えるだけ。すべてはクライエントの力で進んでいくことなので、最終的には「この土台全部、自分の力でできた」と思ってもらえると良い。

● なぜ音楽を使うのか?(様々なクライエントがいて、音楽の使い方もそれぞれなので、今回のクライエントの場合。)
 特に自閉症の中でも言葉の使い手でないクライエントとかかわる時に音楽はセラピスト(私)にとってとても便利だから。クライエントから出てきたものを映して返す時に、メロディー、リズム、ハーモニー、音量、速度、休符など使える要素がたくさんある。

●その他。
 すべてのクライエントでこのセッションと同じようなことができるかというと、できない。ここまでやろうと思うと、小さい子どもであるということが結構重要だ。自傷行為などもあるとできない。(自傷に関しては思うところもあるけれど、試して失敗するわけにはいかないので、とりあえず考えないことに)。そして何かの時にセラピストの力でなんとかできる(動きを止められる)クライエントの体の大きさだったということもある。
 本当はこのやり方でどのクライエントともセッションができれば後々スムーズにすすむとおもうのだが、なかなか難しい。そのためできるだけ小さい年齢からセッションが始められると良いのにと思っている。
 またこのやり方はとても時間がかかるやり方である。セラピスト側からうまく操作(しかも一見操作とわからないように、さもクライエント側から出てきたもののように、うまく誘導していく方法もあると思うが)していった方がクライエントも楽で、時間もかからないかもしれない。けれど、時間をかけても自分でつかんで欲しいという思いがあるので、今のところこの方法が自分にとってベストな方法かと思う。

※1 山松質文『音楽療法へのアプローチ~ひとりのサイコセラピストの立場から』 一九九七

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Author:ころまる
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左が「まる」、右が「ころ」です。

私たちは、京都・大阪近辺で、個人セッションによる音楽療法を中心に、さまざまな音楽活動を企画・実践しています。

自閉症、ダウン症、脳性まひなどの障がいをもつ方々と一緒に、たのしい音楽の時間を過ごす日々♪

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